陳式太極拳の歴史と江東癡半老師

陳式太極拳の歴史と江東癡半老師

○中国の拳法には、「少林拳(外家拳の代表)」と「太極拳(内家拳の代表)」の二大潮流があります。
そして、太極拳の中にも「陳家太極拳」と「楊家太極拳」という大きな二つの門派(流派)があって、そのほかにも
一二の門派があるのです。

○太極拳の名称の由来は、易学理論によって構成されている道教の太極思想に基づいていますが、これは簡単にいえば
「宇宙の変化によって、地上の現象が変化するという大自然の法則があって、全ての物質がこの変化や変動を受けてい
るから、人間はこの大自然の一定法則に従えばよいという考え方です。
○道教の陰陽五行説では、「混沌とした無極の状態であった宇宙の中から、陰陽二つの天地がこの世に創立され、その
天地に五行(金,水、木,火,土)の五気が、大自然を保つ順行法として互いに絡み合って、森羅万象の誕生となる」
と考えているのです。
○この太極思想に基づいて「陳家太極拳」を組み立て創始したのが、河南省温県陳家溝に住む陳家一族の第九世であっ
た明末の武将「陳王庭」といわれています。その後も、陳一族は代々陳王庭の創始したこの太極拳を伝習し、多くの達
人を生みましたが、当時の陳家にはこの拳法を陳一族の者以外には伝えてはならないとする家訓がありました。

○しかし、陳王庭の五代後の第十四世陳長興(1771~1853年)の時に、どうしても「陳家太極拳」を修業した
いと考えていた楊露禅(1799~1872)という人物が、陳家の下男となって毎朝庭に出て拳法の鍛練をしている
陳長興を壁の割れ目から覗き見て、夜になってから見よう見真似で密かに修練に励んでいたのです。
ある日、盗み見ていた処を発見された時、長興は露禅の拳法修得に対する情熱を聞いて、自分の内弟子と立ち合せまし
たが、露禅の技量に敵う者はおらず、長興は露禅の天性と技量を知って正式に入門を許したそうです。
○この楊露禅が始めたのが「楊家太極拳」で、現在一般に広く知られる「太極拳」というわけですが、私達が現在学ん
でいるのは太極拳の元祖ともいうべき実戦武術気功と保健気功を徹底的に重視している「陳家太極拳」なのです。

○演練は始めから終りまで、呼吸に合わせて同じ速度で行い、決して止まってはならないので、清代の拳法の名人は
「拳は長江大海の如く、滔々として絶えることなし」といったそうですが、まさに「宇宙は無極なり」(極まること
なし)という易学理論と一致しています。
○筋肉に力を付けるために、いくら鍛練してもその力には限界がありますが、人間の身体から流れ出る「精神の力」
ともいうべき「気」というものは、太極拳の修練によって養うことで、更に強い「気」を自由に発することができる
ようになるのです。

○現在、この「陳家太極拳」を指導しているのは江東癡半ですが、同氏はその先生の先生である「陳照奎老師」の代
まで、長い間一子相伝(多くの弟子の中でも奥義については、長男等の一名にしか伝えない)とされてきた「陳家式
太極拳」の直系の師範です。
江東癡半は、陳照奎老師の孫弟子であり、同老師のご存命中には直接手ほどきを受けた直系の最高師範であり、
一〇八式の套路(幻の型と呼ばれているもの)を受け継いでおります。

 陳王庭→→→陳長興→陳耕雲→陳延燕→陳発科→陳照奎→都文才→江東癡半
        ↓
 →楊露禅(現在、盛んに行われている楊式太極拳へ)